人を愛したことがない「僕」が本物の愛を見つける物語 ひきこもりの弟だった/葦舟ナツ

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葦舟ナツさんのひきこもりの弟だったを読んだので紹介します。

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著者について

この著者である葦舟ナツさんは、第23回電撃小説大賞”選考委員奨励賞”を受賞し、本作がデビュー作の作家さんです。

『ひきこもりの弟だった』あらすじ

誰も好いたことがない。そんな僕が妻を持った。

今まで人を愛したことがない主人公の「僕」(啓太)。それは子どもの頃のある出来事が大きな原因となっている。

ある雪の日、駅のホームで電車を待っていると突然、見知らぬ女性に声をかけられる。そして、その女性から3つの質問をされる。

彼女はいますか?

煙草は吸いますか?

最後にあなたはーー。

突然出会った女性に3つの質問をされて、思考が停止し、彼女が何を考えているのかわからなかった。

ただ、ひとつ彼女を見る眼は、女が男を見る眼ではないことははっきりと分かった。

「3つ目の質問」が決め手となって「僕」はその女性、大野千草とその場で結婚を決める。

「お互いを大切にする」という決まりごとをして彼女と「僕」の夫婦生活が始まった。

「僕」は千草のことが好きではない。千草も「僕」を愛しているわけではない。

ひとりでいるのは寂しいから、一緒にいてくれる人が欲しかった。そこに恋愛感情は存在しない。

傍から見ればおかしな関係の二人だが、関係はいたって良好。

このいびつな生活の中で「僕」は少しずつ「本当の愛」を知っていく。しかし、そんな良好に見えていた二人の関係にも「ほころび」が。

二人の関係はどうなるのか。3つ目の質問とはーー。

ひきこもりの弟だったを読んだ感想

本作の中で大きな鍵を握っているのは「3つ目の質問」です。

出会ったばかりのはずの二人が、なぜ夫婦となって生活を共にすることを選んだのか。

千草は「僕」に一体どんな質問をしたのか?考えながら読んでいました。

この本は「この小説の題材となった家族がどこかにいるんじゃないか」と思ってしまうほどリアリティのあるものです。

「僕」と同じような状況だったり、家族との関係性がうまくいっていないような状況だったら、行き場のない自分の想いを代弁してくれたこの本に共感して涙を流すことでしょう。

ダヴィンチニュースの記事によると、

その一方で「自分には合わない」と感じる人は「現実逃避」の物語を欲しているそうです。

この文章を読んで、「なるほど、そういう見方もあるのか」と驚きました。

本書は、お手軽な救いなどなく、現実の厳しさを否応なく突きつけられます。

しかし、だからこそ読み終わった後は逃げていた現実に一歩踏み込んでいける勇気をくれる作品です。

ここからはネタバレ要素を含む内容になっています。未読の方はご注意ください。

ラストのシーン。

今まで、千草に対して特別な感情を持っていない啓太でしたが、最後に、自分の千草に対する想いを悟るシーンがあってそこが感動的でした。

ああ、でもこれは、たぶんきっと、千草の愛嬌だ。白目の千草も、僕は好きだ。・・・僕は。僕は、千草が好きだ。その瞬間、身体の芯から温かいものがとめどなく溢れ出した。(341ページより)

人を愛したことのなかった「僕」が、この生活を通して本物の「愛」を見つけることができた感動的な場面。

本の最後には、

その後の啓太についても少しだけ書かれています。十数行でまとめられていて、詳しくは書かれていません。

たとえ時間が経っても傷ついた「僕」の心の傷は簡単に癒えるものではないだろうし、何より母との間に生まれてしまった『溝』はすんなりと埋まるものではないと思います。

その部分を詳細に描いてもらいたかったと個人的には感じました。

本の帯に、『三日間の幸福』『恋する寄生虫』の著者の三秋縋さんのコメントが書かれています。

「この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味でとても幸せなことだと思う」

家族について、愛について考えさせられる作品です。

何かひとつでも響いた言葉、気になる言葉があったら、迷わずに手にとって欲しい。